最終更新2018年06月01日(金) 16時08分

慰霊碑

除幕式
慰霊碑
・昭和59年11月建立(11月20日除幕式)
・場 所:大江山運動公園グラウンド北側
・サイズ:幅80cm×高さ58cm×奥行き15cm
■慰霊碑について
第2次世界大戦時、大江山ニッケル鉱山には連合軍捕虜(アメリカ。カナダ、イギリスなど)700人、強制連行の中国人200人、強制連行の朝鮮人150人が生産に従事していました。ピーク時の1945年の春には3,400人の労働力が生産に従事していました。
フランク・エバンス氏は、香港で日本軍の捕虜となり、日本に連れてこられて鉱山で労働を強いられました。彼は、ウェールズに帰った後、この鉱山がどこにあったか思い出せませんでした。彼が覚えていたのは九州から汽車に乗って何時間もかかり、小さな山にあったことです。40年が過ぎた1981年、彼は香港を訪れました。
帰国する飛行機の中で、日本人のカップルとこの話をしているうちに、京都の大江山の鉱山であったことを思い出しました。
そして、かれは、鉱山のある加悦町を訪問し、町の人は彼を温かく迎え、彼はKINGのような気持ちになりました。
町の助けを受けて、彼は小さなモニュメントの建立と桜の木の植樹を行いました。
これを機に、加悦町とアベリスツイスの交流が始まりました。
(開隆堂出版(株) English Nowより)
■碑文
●表
IN MEMORY OF MY COMRADES
EX.P.O.W.F.EVANS
ABERYSTWYTH NOV.1984
●裏
「私の同僚を偲んで」
元戦争の捕虜 フランク・エバンス
英国・アバリスツイス在住
この碑は、第二次世界大戦時の一九四二年から一九四五年まで大江山の鉱山で軍の捕虜として、労働された英国のフランク・エバンス氏がここの地に眠る当時の同僚を偲ぶとともに、二度と再び戦火の起こらないよう平和を祈願して建立しようと発起されたもので、加悦町と日本冶金興業株式会社も賛同協力しました。
一九八四年十一月
加悦町長 細井拓一
・昭和59年11月建立(11月20日除幕式)
・場 所:大江山運動公園グラウンド北側
・サイズ:幅80cm×高さ58cm×奥行き15cm
■慰霊碑について
第2次世界大戦時、大江山ニッケル鉱山には連合軍捕虜(アメリカ。カナダ、イギリスなど)700人、強制連行の中国人200人、強制連行の朝鮮人150人が生産に従事していました。ピーク時の1945年の春には3,400人の労働力が生産に従事していました。
フランク・エバンス氏は、香港で日本軍の捕虜となり、日本に連れてこられて鉱山で労働を強いられました。彼は、ウェールズに帰った後、この鉱山がどこにあったか思い出せませんでした。彼が覚えていたのは九州から汽車に乗って何時間もかかり、小さな山にあったことです。40年が過ぎた1981年、彼は香港を訪れました。
帰国する飛行機の中で、日本人のカップルとこの話をしているうちに、京都の大江山の鉱山であったことを思い出しました。
そして、かれは、鉱山のある加悦町を訪問し、町の人は彼を温かく迎え、彼はKINGのような気持ちになりました。
町の助けを受けて、彼は小さなモニュメントの建立と桜の木の植樹を行いました。
これを機に、加悦町とアベリスツイスの交流が始まりました。
(開隆堂出版(株) English Nowより)
■碑文
●表
IN MEMORY OF MY COMRADES
EX.P.O.W.F.EVANS
ABERYSTWYTH NOV.1984
●裏
「私の同僚を偲んで」
元戦争の捕虜 フランク・エバンス
英国・アバリスツイス在住
この碑は、第二次世界大戦時の一九四二年から一九四五年まで大江山の鉱山で軍の捕虜として、労働された英国のフランク・エバンス氏がここの地に眠る当時の同僚を偲ぶとともに、二度と再び戦火の起こらないよう平和を祈願して建立しようと発起されたもので、加悦町と日本冶金興業株式会社も賛同協力しました。
一九八四年十一月
加悦町長 細井拓一